「臨床心理士 変な人が多い」というキーワードで検索をしている人が多いようです。
病院やカウンセリングルームで出会った臨床心理士が変な人だったのか…。
はたまた身内や友人が臨床心理士で「こいつ変人だな」という人だったのか…。
実際に臨床心理士は本当に変な人が多いのでしょうか?
臨床心理士として実際に活動している私が考えた「臨床心理士に変な人が多い」と思われる3つの理由をご紹介します。

文章を書くたびブーメランのように何かが刺さっていく…
臨床心理士に変な人が多い理由1:そもそも「心」のことを考えるのは変

形もない「心」に興味を持つのは心に傷を負った人だけかも
私にはメンタルが非常に強い健康優良児な夫がいるのですが、彼を見ていて思うのは「メンタルが普通の人は『心』のことなんて、そもそも考えもしない」ということ。
考えてみれば、身体の部位でもお腹のことを考えるのって、「お腹が痛い」とか「お腹を殴られた」とか、傷ついたときなんですよね。
そして、お腹は確実に存在するけれど、心は形としては存在していない。
そんなあるのかないのかもわからない心のことを真剣に考え、仕事にまでしてしまうのは、やっぱりなかなか変人かもしれません。

私の友人に言わせれば「業が深い」とのこと。
心は「オカルト」扱いされている?
本屋さんや図書館に行くといつも「なんで心理学の専門書とオカルトやスピリチュアルの本が同じ棚に並んでるの!?」と思います。
フロイトやユングの本の並びに「神の声を聴く」みたいな本が…。
でも、これが今の日本人の心理学に対する一般的なイメージなんですよね。たぶん。
だから、心を扱う臨床心理士も「オカルトとかスピリチュアルに傾倒しているらしい変な人」と思われている部分もあるのかも。

意外と超心理学の本も面白くて読んじゃうんですけどね…。
臨床心理士に変な人が多い理由2:集団を見る視点が薄い

心理療法の多くは個人を対象にしている
多くの臨床心理士は、個人を対象とする心理療法を学んでいると思います。
もちろん、集団療法をメインにしている方もいらっしゃるでしょうが、メジャーなのはやっぱり1対1の面接ではないでしょうか。
そうなってくると、臨床心理士の姿勢も「個人」を見つめる姿勢になっていきます。
でも、この姿勢もよく考えればちょっと変かもしれません。
そもそも日本人は「和」を重視して「集団」で生きる存在。自分の心を押さえ、空気を読む社会。
そんな中に「個人」の「心」ばかり見ている臨床心理士がいれば「なんだこいつ?」と思われる可能性は十分あります。
「レールから外れた人」ばかりを見てしまう
集団の動きというのは、ある程度定められた「レール」に沿っています。
しかし、臨床心理士がクライエントとして出会う人たちは、多くの場合「レールから外れてしまった人」「レールにうまく乗れない人」「敷かれたレールとは違う道を行きたい人」です。
そういう人たちに寄り添うにつれ、臨床心理士も自分の足元のレールから外れて行きます。
まぁ、そもそも臨床心理士になる人も「レールに乗れなかった過去」を持っていることが多いですから、そういう「レールから外れた人」にシンパシーを感じるのは自然なことかもしれません。
でも、そういう臨床心理士の態度は「なんでいつも集団の和に入らないの?集団の和を乱すの?変なの」と思われる原因になりえます。

臨床心理士が「何をしているかよく分からない」「連携したいけどできない」と言われる所以は、この「集団を見る視点が薄い」というのが大きいように思います。
クライエントの前にいる自分しか見えていなくて、集団の中の自分をすっかり忘れている…という感じ。
臨床心理士に変な人が多い理由3:臨床心理士の世界に浸かり込んでいる

臨床心理士として生きることが人生の全てになっている
「臨床心理士になる」って、単に仕事に就くというよりも、アイデンティティの獲得になっている人が多いような気がします。
私自身、「私は臨床心理士である」というのは、アイデンティティの大きな部分を占めていると感じます。
なんとなく、自分の肩書として「臨床心理士」を「公認心理師」より先に持ってきちゃうのも、「臨床心理士」というアイデンティティが強いからかな…と。
その理由は大学院から続く「臨床心理士社会」に浸かり切っているからかな…と思います。
大学院では「臨床心理士資格試験の受験資格を得るため」に、
そして、臨床心理士になってからは「クライエントに質の良い心理療法を提供するため」や「資格を更新するため」に、
日頃から勉強し続け、研修に参加し、論文を書く。
時間もお金も、自分の「臨床心理士」の部分につぎ込む。
そういうライフスタイルがもはや当たり前…という人が多いような気がします。
もちろん、他の職種の人も自分のスキル向上に時間・お金を使っているとは思いますが、臨床心理士はそもそも収入が低いのに研鑽にお金を使い過ぎて、人生の仕事も余暇も「臨床心理士であり続けるため」が目的化している部分もあるかもしれません。
そして、大御所と呼ばれる人たちは無理にそうしてきた訳ではなくて、「自然にそうなっていた」「そういう生き方しかできなかった」と、にっこり微笑んで話している方が多いような気がします。
ある種の無邪気さというのか…。
そういうのを見ると「そういう風に生きたい」と「自分もあんな立派な臨床家になりたい」という憧れが相まって、自己投資(投機?)みたいに「臨床心理士な自分」に何もかもつぎこみたくなるのですよね…。

でもまぁ、他の人たちから見れば「生活苦しいのに、そんなに本とか研修にお金つかって、アホちゃう?」と理解できない部分はあるのは分かる。
臨床心理士の言葉や理論が独特すぎる
力動的精神療法なんかは特に「言葉」が独特すぎるかもしれません。
精神分析の勉強会とか出たら平気で「男根期」やら「良い乳房/悪い乳房」やら出てきますからね…。私も言いますし。
でも、冷静に考えれば「ヤバい集団」と思われても仕方ないです。
ユング派の話とか、何も知らない人が聞いたら混乱すると思います。
「錬金術」だの「メルクリウス」だの「赤の書」だの「老賢者」だの…「なんかのRPGか????」と思う気がします(臨床心理士でもエビデンスを重視する人からしたらエビデンスどころか現実味もなくて困惑しそうではありますが…)。
ユング派もちゃんとした心理療法だし、学問体系があるんですけどね。
ちなみに赤の書はこちら↓
ニーアレプリカントの「白の書」「黒の書」の仲間みたい…。
この画像では分かりにくいけど、実際の赤の書は大きいし、重いし、「心理臨床大事典」に次ぐ凶器性を持つ本です。家にあったらオシャレではあるけど。
【おまけ】臨床心理士の「変」な部分を豊かに味わいたい方へ
臨床心理士の「普通」とは違ったものの見方を味わいたい方は皆藤章先生の「心理臨床家のあなたへ」をぜひどうぞ。
「普通」に生きているとつい忘れがちな「生きるとは?」「死とは?」ということを徹底して見つめる(というより自分の意思を超えた何かに「見つめさせられている」?)心理臨床家の姿が感じられます。

私は「第2章心理臨床の感性」の部分が特に五感を使って味わう感じがして好きです。
「第4章『考える葦』再考」では「寄り添う」や「人間として向き合う」ということがとても丁寧に生々しく描かれていると感じます。
ただ、そういう姿勢は日常生活では「無駄」「非効率」として捨て置かれるから「変」に見えるのかなぁ…という気がします。
まとめ:臨床心理士は変な人が多いのか?
「臨床心理士は変な人が多い」と言われる理由として、
・そもそも「心」のことを考えるのは変
・集団を見る視点が薄い
・臨床心理士の世界に浸かり込んでいる
の3つを挙げてみました。
まぁ、こう考えると臨床心理士は変な人が多いようですが、結局のところ「変な人」と思われてしまうのは、「自分は臨床心理士なのだから特別なのだ」「臨床心理士である自分にしか分からないことがあるのだ」とか、変であることを誇りにさえ思っているようなクローズドな人…という気がします。
職場に対しても家族に対しても。
でも、「変なところ」を自覚しつつ、ちゃんと説明して理解を得ていれば、周りの人から「変な人」と思われることはないんじゃないかなと思います。

要するに虚栄心が高いのと説明不足はダメ!
そういう態度はクライエントとの面接にもにじむ…。
臨床心理士がただの変な人と思われないために取り組みたい「マーケティング」について解説しています。こちらもあわせてお読みください。
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