療育とは、発達障害や知的障害などで、
・コミュニケーション
・生活動作
・集団参加
・勉強面
・運動面
などに苦手さがある子に対して、「こうすれば苦手を補えるかな?」「これならできるかも」を見つけて、伝えていくお仕事です。

私は短い間でしたが、療育のお仕事に取り組んでいました。
今回は、療育ってどんな仕事?という疑問への回答をご紹介します。
はじめに:療育のお仕事にチャレンジしようと思った理由

もともとは「療育手帳判定員」だった
私は数年間、児童相談所で療育手帳判定員をしていました。
これは発達障害や知的障害によって、
・できることが制限されている
・できることとできないことがアンバランス
といった子が、必要な支援を受けるための「療育手帳」の発行を目的に、発達検査を行うお仕事です。
そこでよく親御様から相談を受けたのが

この検査を療育施設に伝えたいけど、何を伝えればいいのか・・・

結果を療育に生かすには、どうやってお願いしたらいいんでしょうか
ということ。
でも、私はその当時、療育のお仕事の経験がなく、療育施設にも得意・不得意があるようだったので一概に言えないなぁ…と感じていました。
そこで私自身、
療育のお仕事に飛び込んでみよう

と思ったのです。
子どもが好きだった
発達検査をしていて、多動の激しい子や自閉の強い子にかみつかれたり、蹴られたり、逃げられたり、いろいろありましたが、それでも子どもたちが好きでした。
むしろ、そういう子どもたちに検査をしながら
「そういう遊びが好きなんだ」
「あ、今緊張がやわらいだな」
「ん?疲れてきたかな。じゃあこんな検査はどうだろう?」
「すごい、すごい、できるじゃん!」
「そっか、こういえば伝わるんだ」
と、初めての人との関係をどうやって築くのか、得意なことや嬉しいことはどんなことなのか、不得意なことでもチャレンジできる方法、を見せてもらえるのも楽しかったのです。
そういうことは親御様のフィードバックにも必要ですしね。
そこで培った専門性を療育の現場でも生かせるんじゃないかな?と思っていたのです。
療育のお仕事って実際どう?やりがい・楽しさをご紹介

療育のお仕事に向けて私はやる気満々でした。
もともと臨床心理士としてのオリエンテーションは、精神分析的アプローチでしたので、療育で用いられるような応用行動分析(ABA)や認知行動療法(CBT)といったアプローチは学んでこなかったのですが、本やDVD、研修会など使えるリソースを使いまくりました。
下の本は、ABAの基礎の基礎からイラストつきで解説されていて、専門家じゃなくても分かりやすくて、大変助かりました。何度も読み返した1冊です。
作業療法士さんの研修は、自分自身の特性理解にもかなりつながって本当に面白かったです。

一時期は、作業療法士になりたくて通信制の学校とかも調べまくりましたが、仕事しながらでは難しいなぁ…と分かって断念しました。
療育のお仕事1:子どもたちの可愛さと成長
療育では「児童発達支援」という未就学の子どもたちを対象とした部門に児童指導員として配属されました。
「小さいし、可愛いし、幸せすぎる…!」
と思いましたね。時々かまれたり、よだれべとべとになったり、タックルされたり、癇癪起こされたりしましたけど、療育手帳判定員のときにもあったので、それほど気になりませんでした。
あと、未就学の子どもは成長速度が大人よりも何倍も速いので、やりがいもありましたね。笑顔も可愛いし。
「療育」という仕事自体はとても楽しいなと思っていました。
療育のお仕事2:書類との格闘編
療育のお仕事は、行政からお金をもらって運営しています。
なので、作成しなければならない書類がめちゃくちゃ多いです。
特に一定期間ごとに作成しなければならない「個別指導計画(IEP)」の素案作成が結構大変でした。
最終的にIEPを完成させ、親御様に提示するのは児童管理責任者が行うのですが、子どもたち全員のことを細やかに把握するには難しいため、児童指導員が「この子はこんなところが前回より伸びてます。ここはまだ苦手だからこういう目標を設定して、こういう支援でアプローチするのが良いと思います」というのを書くのです。
それを療育の指導やら準備やらの合間にせっせと書かないといけないので、忙しかったですね。
あと、未就学の子どもたちが就学する時には、親御様の希望があれば「児童連絡票」という書類も作っていました。
これは、子どもたちの社会面(お友達との関わり)、生活面(トイレや食事)、学習面、運動面など、「学校生活でこんなサポートがあれば頑張れそう」、あるいは「こんな時にはちょっとリラックスできる時間や場所が必要かも」といったことを学校の先生方にお伝えする書類です。
年明けに「IEP」と「児童連絡票」の作成が重なると、結構大変でした。
でも、書類作成も「この書類が一部でも子どもたちや親御様、先生方に役立てばいいよな」と思っていたので、好きな仕事でもありました。
もちろん、文章を書くことも好きですしね。
療育のお仕事を辞めた理由

療育のお仕事を辞めた理由1:給料と仕事量のアンバランスさ
療育のお仕事を辞めた理由で最も大きいのは、給料に対して仕事量が多すぎると思ったからです。
もちろん、給料にプラスして「やりがい」や「社会貢献」という報酬もあるんだとは思います。
ただ、「やりがい」や「社会貢献」では奨学金が返せないという現実がありました。
それと私の体力のなさが大きな要因なのですが、仕事後は疲れすぎて家事も何もできないという日々が続いて、

ちょっと限界!
これは続けられない・・・
と思いました。

これは特定の療育施設が悪いというよりは、日本という国の社会福祉全体の問題な気がしますね・・・
療育のお仕事を辞めた理由2:専門性と平等性の葛藤
療育のお仕事を辞める最大の理由は「お金」でしたが、本格的に「辞めようか」と思い始めたきっかけは、経営者の言葉です。
「何年も専門的に学んだ人じゃなくても支援ができるということを示したい」
私はこれを聞いて
ここにいる限り、自分の専門性は認められないんだ・・・!

とショックを受けました。
確かに、社会は専門家ばかりではありません。専門家ではない人たちからの支援は困っている人にとってパワーになるでしょう。そこは否定しません。
だけど、やっぱり社会にも役割があって、そもそも専門家ではない人たちが困っている人の特性を理解したり、アプローチの仕方を知ったりするために、学び、発信しているのは専門家だと思うのです。
実際、療育の現場にはやる気はあっても、情報や知識がないために、「どうしたらいいんだろう」と困っているスタッフもいて、その人たちに「こういう方法があるよ」と伝えられたのは、未熟ながらも専門的に学んだから。それは支援にも役立っていると信じていた。

でも、この場所は、私の専門性を否定するためにあったんだな・・・
と思ってしまったら、もう「ここにはいたくない」と感じてしまいました。
経営者の提示する「平等性」と、自分の「専門性」
もちろん経営者は、理想とする社会を語ったのであって、今の専門家を否定するつもりはなかったのかもしれません。
でも疑念は膨らむばかりで、その1か月後に退職しました。
終わりに
辞めると決めたけれど
「子どもたちには何も罪はないのに支援を辞めるのか」
「金・金って、自分は心が汚いんじゃないか」
「人員だって不足しているのに辞めるのか」
と悩むことは多かったです。

「ボランティア」ではなく、「仕事」である以上、提供する労働力と、貰える報酬のつり合いが取れなくなれば、「条件が合わないようですね」と辞めることは問題ないはずだけど、対人援助職は割り切るのが難しいですよね・・・
今でも考えることはありますし、小さい子を見ると「もしかして〇〇くん?!」と二度見してしまいます。いつも全然違うけれど。
だけど、自分がそんなに辛い思いをして「大人」をしている社会に、子どもたちを送り出せないよなぁ…と思ったのです。まぁ心的防衛ですけど、私の両手では無理な範囲だったんだなと。
今は、別の仕事で、別の人たちを支援しています。療育の仕事を通して得られたものは無駄にはなっていないと感じています。
コメント