

雑談できるような関係性の人がいない中で、つらくなるのは心の機能としては正常だと思います。きわめて正常な心と身体をお持ちです!
ただ、今の質問者さんの状態は「健康」とは言えない…とも思います。
答えになるか分からないのですが、考えたことをつらつら書きますね。
仕事がつらい理由:終わらない非日常はつらい

非日常は楽しさもあるけど基本的に疲れる
新しい環境というのは基本的に「非日常」です。
一般的に非日常はワクワク・ドキドキ・ハラハラの連続で、落ち着くことがありません。
そして、非日常はちゃんと終わることが大事です。
恋愛は基本的に非日常の連続です。LINEが来ればワクワクし、手が触れ合ってはドキドキし、「もしかして浮気?」という何かを見つけてハラハラし…と毎日せわしない時間が流れます。
いずれワクワク・ドキドキ・ハラハラは落ち着いていきます。「倦怠期」とか呼ばれて否定的に扱われがちですが、二人が一緒にいることが非日常から日常に切り替わっただけなんじゃないかな…と思います。
そこからは普段は日常、たまの記念日に非日常を味わう形へと変化していきます。
もし、変化できないとかなりつらいです。
非日常を日常に変化させられないまま、疲弊していった物語が「あなたのことはそれほど」なのかな…と思っています。ドラマで出てくる「家」も「料理」も、いつも非日常感があって「これは疲れるやろな~」と思いながら見ていました。

私が庶民すぎるだけなのかも?
非日常が終わらないのは地獄です。
いつも緊張していなければならず、かろうじて日常の空間である自宅ではどっと疲れて動けません。
あるいは、自宅でも明日の非日常空間のことを考えてドキドキ・ハラハラして気が休まらないかもしれません。
新卒社会人も、最初は仕事が「非日常」です。ドキドキ・ハラハラしながら仕事に取り組み、眠れぬ夜を過ごす日もあるでしょう。しかし、時間の経過とともに仕事は日常になり、「はぁ、めんどくせー」とか言いつつ適度に力を抜きながらこなせるようになります。
しかし、どうも質問者さんは仕事がいまも「非日常」のまま、続いてしまっているようです。それはしんどいことだろうなぁ…と感じます。
雑談は「日常」を取り戻す大切な手段
雑談はそんな非日常の中でちょっと日常を取り戻せる時間です。
例えば、日常を司る存在?である家族の話題なんて大抵は雑談です。
「芸能人の〇〇が電撃結婚したんやって」
「へー…(完)」
みたいな、中身のない会話で日常は保たれます
これが毎日、
「明日は何をするの?」
「どうしてあなたはこう考えたの?」
と意味を追求する話ばかりだと緊張が張りつめます。
ちなみに、上記のような状態は不登校の子どもがいるご家庭でよく発生しがちです。
家庭というのは「ただ日常を過ごす」ためにあるはずなのに、不登校を解決しようと一生懸命になった結果、「非日常的に何かをする」ことが重視され、みんなが緊張して疲弊した状態に陥ってしまうのです。
なので、雑談したり遊んだり家事をしたり…とにかく「日常」を取り戻すことから支援が始まったりするのですが…。もちろん、ご家庭にも子どもにもよります。
あと、機能不全家族も「いつ何が起こるか分からない」という非日常ワールドなので、雑談とかほとんどできないですね…。雑談が何の火種になるか分からないので。
雑談は安心が保障されていないと難しい。
閑話休題。
質問者さんの日常は、どれくらい仕事という非日常に侵食されているのでしょう?
以前できていたことはできていますか?
あまりにも毎日が非日常で緊張の連続であり、自宅でさえ日常を楽しめなくなっているのなら、日常を取り戻すことを優先した方がいいかもしれません。
・身体が弱っているなら休みを取る、あるいは病院へ行く
・趣味や娯楽の時間を確保する
・友達と雑談や飲み会など
・転職活動をする
つらい仕事は本当に大事?生きることは手段ではなく目的

よく「〇〇のために生きる」なんて言われますけど、私はあらゆるものは「生きる」という目的のための手段に過ぎないと思っています。
お金も、仕事も、恋愛も、結婚も、何もかも自分が「よく生きる」ための手段でしかない。
自分が「よく生きる」という目的を妨げるのなら、お金とか仕事とかいう手段はいったん置いておいて、別の手段で「よく生きる」ことを目指せばいいのかもしれない。

私が「よく生きる」ための手段は、
1.夫を大事にする
2.夫に大事にされている自分を大事にする
3.自分の身体や精神と相談しながら仕事をする
という感じです、今のところ。
質問者さんの「よく生きる」はどんな感じでしょう?
今のお仕事は「よく生きる」を支えていますか?
まぁこれは私の価値観なので、質問者さんは「え~?やっぱ仕事しないと人間終わりだよ」と思うかもしれません。
仕事をしていて「生きてる!」って感じがするなら、それもまた良し!
でも、仕事をしていて「死にたい…」と思うなら、もしかすると「生きるために仕事をする」のはずが「仕事のために命を削る」にすり替わっているのかもしれません。
最近あまりにも「生きる」ことに意味を問われすぎていて、生きるのが大変になったなぁという感じがします。
現代日本の風潮かもしれませんね。人の役に立ち、迷惑をかけず、税金を納め、子どもを生み…色んな生きる「意味」が提供されすぎていてつらいです。
ただ「生きるために生きる」でいいのになぁ…と私は思います。
色々な本を参考にした結果、上記のような考えを持つに至っていますが、特に「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)は、私に大きな影響を与えた1冊です。
シンプルなイラストながら、中身は濃厚なので興味があればぜひ。
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