発達障害に限らず子育てで「普通」を目指すのは難しい【療育の現場から】

働き方

普通って何だろう???って思うことが最近とても多いです。

今日は以前働いていた療育施設での出来事から「普通」という言葉に隠された危うさと、社会全体が発達障害的なコミュニケーションが主流になる中で「普通」が変化していくことについて振り返ってみます。

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そもそも「普通」の定義がよく分からない

同じ「普通」を目指しているはずなのに求めることは正反対

私は療育施設で未就学児の個別療育をしていました(今はしていないけれど)。

子どものペア指導をして保護者に「今日こんなことできました」とか話していたんだけど、その話の中で「普通」という概念がいかに曖昧かがわかって面白いなと感じました。

例えば、ぽやーっとしたマイペースな太郎くんと自分の意見を押し通そうとする花子ちゃんの2人でペア指導をした後、それぞれの親御さんに個別に話をしていると、

太郎くんの親「うちの子は花子ちゃんみたいに自分の意見を言えない。花子ちゃんみたいに自分に自信をもってほしい」

花子ちゃんの親「うちの子は太郎くんみたいに譲り合うということが出来ない。太郎くんみたいに優しさをもってほしい」

佐藤セイ
佐藤セイ

1日、お子さんをトレードしてみては???

というのは冗談にしても、結局「普通」の基準なんて本当にあやふやなんだなと感じました。

当たり前のように「普通」を求める世の中

それにしても、「普通に○○出来てほしい」は多いですよね。

発達障害で特性を持って生まれてきた子どもたちはもちろん、定型発達の子どもたちも「隣の次郎くんはもう逆上がりできたんだって」「いとこのお姉ちゃんがあんたくらいの頃にはもう掛け算もできていたのに」なんて、色々比較されているんですよね。

なんでそれを求めるかって言ったら「それが普通だから」というだけで、何か信念があるわけでもなく。

ちなみに「定型発達」っていう言葉も、存在しない「普通」の基準を押し付けられているようで私は好きではないです…。

まぁ、比較対象がなければ、成長も感じにくいから、1つの基準としてはいいと思うけれど、そこから外れたからどうのこうのっていう議論はしたくないな、と思いますね。

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「普通」ではなく「専門性」や「クリエイティブ」「ユニーク」が求められる時代

今の時代、何かの専門性があった方がいいと思います。

誰にでも出来る仕事はどんどん機械化・外注化されているので、今までのように何でもそこそここなすという人の需要って少なくなると思うのです。

AIに仕事を奪われるとかよく言いますが、人間がAIに対抗できる部分はもう「クリエイティブ」であることしかないのかもしれないなと思います。

だからこそ、Youtuberが1つの仕事として成り立っていて、憧れの職業になっているんじゃないかなぁと思うのです。

ただ「クリエイティブ」なだけでなく、「ユニーク」であることも大切です。

誰もしたことがないことをするからこそ、Youtuberは面白いと思われている。逆にこれから売れるYoutuberになるには、新しいキャラや新しいことを探さないといけないということだけれど。

そこに新しさを添えるのが1つの「専門性」なのかな?と思うのです。

佐藤セイ
佐藤セイ

私も「ライター」というクリエイティブ×「臨床心理士&公認心理師」という専門性で、頑張っております!!!

発達障害ベースの社会が「普通」を変えていく

あと、社会の様相を見ててもこれからは発達障害ベースなコミュニケーションの取り方が「普通」になっていくんじゃないかと思います。

どういうことか、と言うと

発達障害の人は具体的な指示がないと動けなかったり、空気が読めなかったりするのが特徴っていうのは、なんとなく知識として知っている人が増えているのかな、と思っているんですが。

その結果、「そんなの普通でしょ」と、これまで雰囲気で流されたり、許されたりしていたことが全て規制化されていくのではないか?と思うんです。

コミュニケーションが視覚的・具体的になっている

SNSの発展で「言葉にする」ことで伝えることが当たり前になってきました。

Twitterも140文字で視覚的・具体的にまとめて伝えたり、

最近はInstagramで実際に行ったところや食べた場所を写真と言葉で表現することも流行していますよね。

そういった視覚的・具体的なコミュニケーションの取り方は、発達障害の人向きなのかなと感じるのです。

(あと、視覚刺激の感覚を探求してしまう私にとって、Twitterの文字やInstagramのフォトジェニックな写真は感覚を満たしてくれるので嬉しい)

読むべき「空気」や「暗黙の了解」がなくなっていくかもしれない

伝え方が視覚的・具体的になったのもそうだけど、「空気」が薄くなっているのも大きい。

SNSやネットによって、広い世界の情報が一瞬で伝わるようになった分、会社や地域などの小さな範囲で「空気」とされてきた暗黙の了解に「それ変じゃね?」ってメスがずばずば入るようになってきました。

これまで、なあなあだった部分への批判や排除が目覚ましいと感じます。

それは炎上などの問題行動も引き起こしますが、狭い世界で「普通」とされてきた色々なことをクリアにしていく働きも持っていると思うのです。

クラウドソーシングや在宅ワークも増えてきていることを考えると、人間関係で仕事する社会でなくなってきているのも大きいですよね。

20年くらい経ったら状況はだいぶかわっているんじゃないかしらん、と思います。

佐藤セイ
佐藤セイ

コロナによって、「なんとなくの空気」を感じられない距離感でコミュニケーションしなければならなくなったのも、発達障害ベース社会の後押しかも?

発達障害を抱えた人がコミュニケーションしやすくなった分、そうでない人たちは「うまく関われなくてしんどいなぁ」と思っているのかも。

両者のコミュニケーションスタイルがうまく噛み合う在り方を模索していければ良いのですが。

「普通」という枕詞は「これから過剰な要求をしますよ」の合図

「普通」って言葉は便利で、

「普通に○○大学くらいには入ってほしい」

「普通に年収○○万円は稼いでほしい」

「普通に結婚して孫の顔見せてくれたら」

とか「普通」を枕詞すれば、高度な要求を訴え続けることが出来てしまいます。

でもみんなが大学に合格できるわけではない(努力や学力云々ではなく、合格者数に限りがある以上、絶対に落ちる人はいるということ)、平均年収や生涯未婚率、出産率などを考えると、もはや高収入や結婚、出産も普通ではないのです。

それでも、「普通」を盾に求めるのって、いったい誰の「普通」なんでしょう?

だって、70年ちょっと前には、日本人でさえ戦争に行って、

天皇は神様だと思っていて

それが「普通」だったのに。

「普通」は移り変わる流動的なもの。

仮に誰かにとっての「普通」でも私にとっては「普通」じゃない。

同じように私にとっての「普通」も誰かにとっての「普通」じゃない。

そんな普通のことを普通にやるのが本当の「普通」のコミュニケーションなんじゃないでしょうか?

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