依存症にとっての苦痛は「暇」が見せつけてくる苦しい世界

雑記

コロナで話題になっていた、緊急事態宣言が出て外出自粛が要請されてなお、パチンコに行く人々。

多くの人には滑稽で、理解不能で、呆れた人たちに見えたことでしょう。まぁ、それは間違ってはいないのですが、

彼らの多くは「ギャンブル依存症」なんだろうと思います。

最近では、薬物依存症やアルコール依存症も話題ですが、依存症への理解はあまり進んでいません。

佐藤セイ
佐藤セイ

この記事では、

・依存症とはどんなものか

・依存症から回復する方法

について解説します。

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依存症とは?

依存症を生きる人々が苦しむ「暇」

私は仕事柄、様々な依存症の人に会う機会がありました。

パチンコ・スロット・ゲーム・アルコール・恋愛・性・薬物・万引き・・・日本人なら「ワーカホリック」なんてのもよく聴きますが、依存の対象は実に様々です。そして、依存にいたる経緯も多様ですが、よく聞くのが「暇がつらい」ということ。

とにかく暇を感じないために、何をすればいいか迷ったら、依存しているモノに走るのです。

そのため、依存するモノは、

・刺激的で興奮できる

・何も考えずに済む

といったものになります。

「罪悪感」すらも、刺激や興奮のスパイスになってしまうため、薬物や万引きなど「犯罪行為」と分かっていても手を出してしまうのです。

依存症の人が「暇」に苦しむのはなぜ?

「暇なんてむしろ感じたいよ」と思う人も多い中、こんなに「暇」が怖いのはなぜなのか。

「暇」は考えたくない、見たくない、思い出したくないことをささやいてくるからです。

例えば、

・過去の虐待体験を思い出してしまう

・いじめられたシーンがフラッシュバックする

・ひとりぼっちの孤独感に襲われる

・「死にたい」という気持ちが浮かび上がってしまう

など。

無意識に抑圧してきたモノが、意識に上りそうになる感じかもしれません。

走り抜けていく新幹線の景色はあっと言う間に通り過ぎていきます。「忙しい」毎日の中でなら、窓の外の見たくない景色は見てしまったとしても一瞬で次の景色に移ります。だから安心安全。

だけど、暇は走ってきた足を止めます。ふと立ち止まったら、見たくない、どろどろとした世界の中に1人なのです。

逃げたい!

見たくない!

そう思った時にできることは

何か別の世界にのめりこみ、その世界しか見ないこと。

それが「依存」です。

コロナが騒がれている中でも、パチンコに行く人は、本当は「誰にも相手にされなくて寂しい」から、たくさんの人がいるパチンコに行くのかもしれない。

あるいは、これまで自分で何かを成し遂げたと感じられたことがないから「せめて、パチンコでは達成感を得たい」と思うのかもしれない。

小さい頃に厳しく制限されてきたから「自分はもう大人だからパチンコが出来るし、こんなに大金でも自由に使えるんだ」と確認せずにいられないのかもしれない。

まぁ、これらはパチンコを始めるきっかけにすぎなくて、繰り返し通っている内にもう「とにかくパチンコでないと、自分の心を満たせない」という域に達している人もたくさんいたとは思います。

依存してしまうと、それが「最大の幸福を与えてくれるモノ」になってしまうから。

それ以外で何も満たせなくなってしまうから。

だから「依存症」は怖いし、悲しいのです。

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依存症から回復するために必要なこと

ありのままの自分を肯定してくれる存在

私も「自分はダメな人間だ」「愛されていない」「何もできない」という苦痛に耐えかねて、お酒に逃げ続けたことがありました。

毎晩ストロング缶を開ける日々。

職場からの帰りに電車の中で飲むという退廃的なこともしていました。

身体がしんどくなるのも、周りから変な目で見られるのも分かっていたけど、お酒を飲まないと、生きていくことが苦痛で苦痛でたまらなかったのです。

夫がなんども肯定を重ねてくれて、依存ではない道で私を満たしてくれて逃れることができましたが、それはただただ幸運が重なっただけだと感じます。

自分で自分を肯定できないからこそ、「ありのままの自分」を受容し、肯定してくれる人を見つける必要があります。

それが、AAやSAなどの自助グループの役割なのかもしれません。

自分の感覚・感情・考えを持つこと

依存症の人は、自分で自分を幸せにする能力が十分に伸ばせていません。

なぜなら、依存症になる人は、自分を主張することを許されなかったから。

・身近な大人が厳しくて、言うことを聞かないと殴られた

・親が病弱で甘えられなかった

・親に放置され、困りごとも自分で解決するしかなかった

など、幼い頃から、自分の気持ちを周りにこぼすことなく、抑え込んでしまう内、自分の「こうしたい」「これが好き」といった気持ちが見えづらくなってしまうのです。

(鬼滅の刃の栗花落カナヲちゃんを知っている人は、その子をイメージしてもらえば分かりやすいと思います。)

そのため、他者の基準で幸せになろうとしてしまいます。

「結婚すれば幸せ」「お金があれば幸せ」「やっぱりマイホーム」など、外からの「幸せ」を自分に取り入れてしまうのです。

でも、それは本当に自分の幸せにはつながっていません。

自分でちゃんと幸せを感じるには、自分の感覚・感情・考えなど、自分自身をきちんと理解してあげることが不可欠です。

「今日の日差しはあたたかい」

「今日はなんだか首が痛い」

など、ちょっとした自分の反応もしっかりキャッチし続け、自分の心の動きに気づく閾値を高めていきましょう。

まとめ

コロナで自宅にいて「暇」を苦痛に感じた人がいたら、もしかすると本当に解決しなければならない問題を抱えているサインなのかもしれません。

自分の心の声に耳を傾けると共に、必要に応じて、医療やカウンセリングなど誰かに相談してみましょう。依存症に陥らないためには他者としっかりつながることが大切です。

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